現在では、そういう指導的な方向が表面から隠されてしまわなければならない程社会の事情一般が切迫して来ており、知識人は全く大衆の蒙っていると同一の重荷で経済的にも文化的にも生活を切下げられている。手近な例として、今日の複雑な時局について、知識人は、どんな広い客観的視野、批判の自由を持っているであろう。こんにちの歴史の局面について世界史的に、大局的に判断することが可能なような知的な自由というものを知識人は与えられていない。誰でも読む新聞、誰でも聴くラジオと軍歌、演説が知識人の知識の糧であり得るにすぎない。今日ほど、知識人が客観的に大衆なみにおかれていることはなかったと思う。大衆の不満がありとすれば、それは本質的に知識人の不満である。おしかぶせの全体主義への心臓からの抗議がここから生じると思う。

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